蒔いた種を刈り取ることになった私の体験~亡くなった同級生からもらった微笑み~
蒔いた種を刈り取ることができたと感じた私の体験について今日は書こうと思います。
私は中高一貫校の学校に通っていました。
当時の私はありのままの自分は人に好かれないと感じてたのでいつも自分を押し殺して、相手に合わせてなんとかやり過ごしているというような日々でした。
中学三年生の時に、クラスに白血病で闘病していた同級生がいました。
彼女は一年間、一度も学校に登校してくることはなかったのですが、日直の当番になった人が彼女にハガキを書いて送ることになっていました。
一度も学校に来ていない子だったので、彼女に好かれようとか嫌われないようにしないとか考えることなく自然体の自分でハガキを書いていました。
いつしか、彼女に手紙を書くことが楽しくなっていきました。
中学三年の初めに仲間外れにされた時期があって、仲間はずれにした意地悪な子がその闘病している同級生と友達だったというのも知っていて、彼女も私と同じように苦しかったのではと同情する気持ちもありました。
友達が日直になったときはハガキのスペースの半分をもらって書いていましたし、自分の日直の時は表裏びっしり書いて送っていました。
しかし、彼女は学校に一度も来ることはなく、クラスも変わってしまったのでハガキを書いていたこともすっかり忘れてしまいました。
1年後くらいだったか、彼女の白血病が寛解して学校に登校してくるようになりました。
おとなしいタイプの女の子だったのですが、体育の授業を見学するときなど時々近寄ってきてくれて話しかけてくれたりしていました。
でも、病気の人だと気を使い過ぎてしまったり、緊張してしまって上手に話せませんでした。
高校の卒業式の日に、廊下でいたら彼女が温かい眼差しを向けてくれて近寄ってきてくれました。
大人しい感じの彼女が自分から近寄ってきてくれたことに少し驚いたのを覚えています。
彼女は大検をとったことを話してくれて、私は下宿することを話したりしました。
お互いに卒業してから頑張ろうねと言い合ってお別れしました。
私は、その時が彼女と話ができる最後になるとは夢にも思わず、彼女は優秀でいいな、私はあまりいい大学に入れなかった…かっこ悪いなと自分のことに囚われていました。
最後までハガキを書くことを楽しみにしていたことも思い出せずにお別れしてしまいました。
20歳の時に、下宿先に母から電話がかかってきて、彼女が亡くなったことを知りました。
彼女を失って初めて彼女との思い出が走馬灯のように思い出されてきて涙が止まらなくなりました。
私は彼女にハガキを書くのを楽しみにしていた…もしかしたら彼女も闘病中に私のハガキを楽しみにしていてくれたのかもしれない。
だから体育の授業の時に近寄ってきてくれたり、話しかけてくれていたんだ。
卒業式の時の温かい眼差しの意味がやっとわかりました。
彼女を失ったときに初めて、彼女が自分にとってどれだけ大事な存在であったかを思い出すことができました。
緊張して上手に話せなかったり、自分のことに囚われてしまって相手の気持ちまで思いがいかない欠点もあるけど、それをわかった上で、でもあなたにはいい所があるのを知っているよと言ってくれたような笑顔でした。
自分は自然体では好かれない人間だと思い自信がなく、暗闇の中にいたのですが、彼女の眼差しが私の姿を照らしてくれたお陰で初めて自分の姿が見えました。
暗闇の中にいた私に一筋の光が見えて、抜け出していくことができた瞬間です。
彼女は亡くなっていくときに最後に私に贈り物を届けてくれました。
その後、本との出会いもあり、なぜ自分は冷たい人に近寄って行ってしまうのかとか、温かい人を無意識で避けてしまうのかとか学んでいき、生きるのが楽になっていきました。
彼女との出会いと別れから本当にたくさんのことを教えてもらいました。
見返りを求めずに相手に温かい気持ちを届けたら、いつかそれが自分に返ってきて自分を助けてくれる。
自分の中にあるものを外側に届ける大切さが本当の意味で理解できました。
私たちは蒔いた種を刈り取ることができます。
愛を得たいのであれば、愛をくれる人はどこにいるのだと探し続けるのではなく、自分の中にある愛や優しさを外に向けて届けていくことが大切です。
時間はかかっても必ず、自分が届けたものが自分に届けられます。
与えたものが与えられます。
これが本当に重要な宇宙の法則です。
ただ、忘れてはいけないのは、自分を犠牲にしてまで届けようとはしないでください。
見返りを求めない範囲で届けることが大切です。
この蒔いた種を刈り取る。
この宇宙の法則が世界中の人たちに理解されて受け入れられたとき、愛ある世界を呼び出せるのだろうと思います。
そのためにブログを書いていますし、書き続けていこうと思っています。