宇宙の法則で一番有名な『原因と結果の法則』
原因と結果の法則、因果関係の法則、蒔いた種は刈り取る、様々な言い方がありますが、すべて同じことを言っています。
自分が引き起こした結果は、自分自身が体験することになるということです。
全世界で2400万部売れた『ザ・シークレット~引き寄せの法則』の原点となった、『ザ・メタ・シークレット』の著書にも『原因と結果の法則』は宇宙の法則の中で一番よく知られている法則だと書かれています。
ザ・メタ・シークレット 実践編 メル・ギル著書 の一部を紹介します。
引用開始
原因と結果の法則とは?
すべてのものには原因があり、それにともなった結果がある。
偶然とは原因の見つけられない結果である。
この宇宙には偶然はなく、必ず結果のもととなる原因があり、望む結果を得るためには、その原因を自ら作り出していく必要がある。
引用終了
『魂の療法 ブライアンワイス 著書』
引用開始
重要な宗教に共通する価値観
仏教・・・蒔いた種は刈り取らなければならないということは、自然の法則である。
キリスト教・・・人は蒔いたものはすべて、自分で刈り取るであろう・・・神はその人の行いに従った報いを人に与えるだろう。
ヒンズー教・・・あなたが蒔かないものを、得ることはできない。あなたが木を植えれば木が生長する。
ユダヤ教・・・自由な人は豊かになり、水をやる人は、水を与えられるであろう。
引用終了
有名な引き寄せの法則の著書にも書かれていますし、既存の宗教の共通の教えの一つにもなっているのが原因と結果の法則です。
四文字熟語に因果応報という言葉もありますし、バチが当たるという言葉も日常で使ったりしますよね。
この宇宙には、原因と結果の法則という非常に大切な法則があるということを心にとめて暮らしていくことが大切です。
前回のブログではよい種をまいた時の話でした。
悪い種を撒き刈り取った経験もあるのでそのことについても書こうと思います。
小学校2年生頃の話です。
母が精神的に頼りにしていた自分の母親を亡くし、不安定になっていたことがも影響して、私は愛情不足で育っていました。理不尽なことで怒られたり、兄と差をつけられて育てられたり家庭が安らぎの場所ではありませんでした。
性格が悪い子供でした。
自分の中にある痛みや憎しみといったものを、立場の弱い人に吐いてなんとか精神のバランスを取っていたのだと思います。
下校途中に3人の中で一人を仲間はずれにしたり、意地悪なことをしたり、先生から呼び出されて怒られたこともありましたが反省もしていませんでした。
当時の自分は自分が悪いことをしているという自覚もありませんでした。
冷たくて残酷な性格でした。
その後、そのままの性格では友達から好かれるわけもなく、ありのままの自分は人から好かれないと気がつくようになりました。
それからは他者に苛立ちを吐き出すことはしなくなり、自分の内側に溜めて我慢をしていくYESマンになっていきました。
中学校3年生の時に、小学校の時と逆の立場を体験することになりました。
クラス替えをしたら、仲良しの友達が一人もいなくて、自分と同じように愛されていない人と友達になってしまいました。
部活が一緒だったのですが、3人の中で仲間はずれにされたり、感情のはけ口にされたりしました。
小学校の時に私が他の人にしてしまったことを逆の立場に立って体験することになりました。
ストレスで体調が悪くなり、視力低下し始めたり、顎関節症にもなり苦しい苦しい日々でした。
ある程度苦しむと他のクラスの友人が友人を紹介してくれて苦しみは終わりました。
自分が仲間はずれにされて初めて、過去に自分が傷つけた人の苦しみがわかり、二度と他の人に意地悪なことをしない人間になろうと思えるようになりました。
自分が蒔いた種を6年後に刈り取ることになったのです。
苦しみを体験することで、他の人の苦しみにまで思いがいくようになり、闘病中の同級生や孤独な留学生に温かい眼差しを注げるようになりました。
ジェラルディ-ン・カミンズ著 不滅への道 P54
私はただ、彼の魂と心は、その犠牲者たちの苦悩との一体化を通して浄められていくものであると付け加えうるのみである。
私たちの魂は、過去に自分が犯した罪を自分が同じ体験をすることで、浄められ、愛において成長していくのだと思います。
飢えた体験をしなければ、飢えの苦しさをしることはないだろうし、自分が与えた苦しみを体験してみなければ、相手の苦しみを本当の意味で理解することはできないのだろうと思います。
それでも、こういう人もいるでしょう。
何の罪を犯してもいない子供やいい人がなぜ苦しむのかと…。
以下の文章が正しいのではないかと私は感じます。
ヴィンセント・ギュリム著 魂の法則 P158
多くの人は、何もしていない善人が、運命のいたずらのように、悲惨で不幸な数々に見舞われなければならないことが理解できない。
そして、善人がこれほどひどく苦しまねばならないのだから真の裁きが存在する訳がない、と結論づける。
しかし、その魂は、「魂の法則」と馴染む前に、犯した罪の埋め合わせをしているということなのだ。
したがって、困難に立ち向かう人達がいることを喜びなさい。
第一にその人たちは、更生しようと深く肯定的に改心した魂であり、第二にそれほどの試練に直面すること自体がかなり進んだレベルに達したということで、負債を集中的に清算することにも成功する可能性があるからだ。
大きな困難がやってきた人というのは、困難から学び成長しようという意志を持った魂であり、かなり進んだレベルに達している。
こう聞くと励まされます。
蒔いた種を刈り取る。
苦しみは学びのためにやってくる。
罰したり、懲らしめたりするために苦しみがやってくるのではなく、自分がやられて嫌なことは他者にしないようにしようにするため、大切なことを思い出し優しくなっていいくためにやってくるのでしょう。
そう考えるのが正しいのだろうと思います。
この話をすると母は必ず反発するんですけどね…。
私はやっぱりこの世界は完全に平等で完璧な世界であって欲しいし、そうあるべきだと考えてしまうんです。
神様がいるならば、完全に平等であって欲しいし、すべての人が完璧に愛されていて欲しいと。
原因と結果の法則がこの宇宙にあるのだと考えたなら、この世界は完全に平等で完璧だと考えられます。
私の心、良心がこれが正しいと教えてくれていると感じています。
皆さんはどう感じるでしょうか…。