理解していくことで幸せになっていける

真実は準備ができた時に目の前に現れます

自己嫌悪は成長し新しい自分になっていく最大の敵~罪悪感を手放す~

困難や出来事を利用し、本当の自分になるために私たちは地球に生まれてきているとブログのスタートに書きました。

本当の自分になっていくためには、自分の中にある罪悪感を手放すことが大切です。

 

罪悪感を抱くと、自分を愛せなくなります。

人間関係で最も重要な関係は自分自身との関係だと言われています。

自分を愛せる人は、他者からも愛されて幸せになっていけます。

しかし、自分を愛せなくなると、他者を愛せなくなり幸せになっていけません。

 

幸せになっていくためにも、罪悪感を手放していきましょう。

 

皆さんはどんな罪悪感を抱えていますか?

 

私は、性格が悪かった小学生低学年の頃、悪いこともしていました。

罪を犯していました。

周りの大人は私が悪いことをしているにもかかわらず注意もしてくれず見ているだけでした。

子供心にも悪いことをしていたのだと自覚もありましたし、他の人にも知られていたこともあって、ずっと罪悪感を抱いて生きてきました。

悪いことをしてきた人間なのだと思い出しては自分を責めて自分を嫌っていました。

時々頭の中に思い浮かぶと自分はダメな人だったと頭を叩いたりしていました。

 

小学校5年生の頃の話ですが、卒業生6年生との交流会がありました。

担任の先生が5年生代表で挨拶をする人を選んでおかなくてはいけなかったのに、選ぶことをすっかり忘れていて、挨拶の直前に私に壇上に登るように言われました。

挨拶をしなくてはいけなくなりました。

元々非常にあがり症で気の利いたことをとっさに話せるような人間ではありません。一言しか言えずに壇上から降りてきてしまい皆に笑われてしまった経験があります。

きちんと挨拶できなかった自分が恥ずかしく、いつまでも思い出しては自分を責めていました。

小学校2年生の時に仲間外れにして人を傷つけてきたことも自分の中に罪悪感として残っていました。

 

そんな私が罪悪感を手放せるようになったのは本の言葉のおかげでした。

いくつか紹介したいと思います。

 

神との対話3 ニール・ドナルド・ウォルシュ著書

 

引用開始(対話形式になっています。★神〇著者)

P19

★過去に与えたと思ういろいろな『被害』を償いたいのなら、行動で示しなさい。

できることをしなさい。そして、あとは忘れなさい。

 

〇それは、言うは易く行うは難し、ですよ。ときには、罪悪感に押しつぶされそうになります。

 

★人間の唯一の敵は、罪悪感と不安だよ。

 

〇罪悪感は大切です。自分が悪いことをしていると教えてくれるんですから。

 

★『悪い』ことなどないよ。ただ、自分の為にならないことがあるだけだ。自分の真実、こうあろうとするほんとうの自分を語らない行いがあるだけだ。

罪悪感を覚えていると、自分らしくない自分から抜け出せない。

 

〇罪悪感は、少なくとも道をはずれたと教えてくれます。

 

★それは、気づきであって、罪悪感ではない。いいかね、罪悪感は畑を枯らす病気だ。植物を殺してしまう毒だよ。罪悪感をいだいても成長はしない。ただ、しなびて死ぬだけだ。

あなたが求めているのは、気づくことだ。気づくことと罪悪感はちがう。愛が不安とちがうように。愛と気づき、これが真の友だ。混同してはいけない。片方はあなたを殺し、片方は生命を与える。

 

〇それでは、いっさい『罪悪感』を感じなくていいのですか?

 

★もちろん、感じなくていい。感じて、どんな良いことがあるのかね?自分を愛せなくなるだけではないか。すると、ひとを愛するチャンスもなくなるよ。

 

 

P115

★あなたには価値がある。誰にでも価値があるように。価値がいないというのは、人類に浴びせられた最悪の非難だ。あなたは過去をもとに自分の価値を決めるが、わたしは未来をもとにあなたの価値を決める。

未来、未来、つねに未来だ!人生、生命は未来にあるのであって、過去にはない。未来にこそ真実があるのであって、過去にはない。これまでしてきたことは、これからすることにくらべれば重要ではない。これまで犯してきた過ちは、これから創造するものにくらべれば何の意味もない。

あなたの過ちを赦そう。すべての過ちを赦そう。あなたの間違った情熱も赦そう。すべてを

赦そう。・・・

ほかの人は赦してくれなくても、わたしは赦す。ほかのひとは罪悪感から解放してくれなくても、わたしは解放する。過去を忘れて前進し、新しい何かになることを誰も認めてくれなくても、わたしは認める。あなたは過去のあなたではなく、いつもいつまでも新しいあなただと知っているから。

 

引用終了

 

その人が過去に何をしてきたかよりも、これからどんなことをしていくかの方がずっと大切であること、間違いをしたと気がつくことが大切なのであって、罪悪感を抱く必要はないとも書かれています。

罪悪感を抱くと自分に対して否定的な気持ちを抱いてしまいます。

それが宇宙に届き、感情がコピーされ再創造され同じような体験を繰り返してしまうことにもなります。

幸せになっていけなくなってしまいます。

 

人にはそれぞれ意識のレベルがあるといいます。

魂の成長の進んだ人もいれば、まだそこまで進んでいない人もいます。

かつての自分は大事なことがわかっていなかったけれど、今はわかっているということってありますよね。

その時の自分の意識レベルではそれが正しいと思っていたんだ、自分の中では精一杯だったのだと自分を許すことでも罪悪感を手放すことができます。

 

人間は、間違った生き方を散々体験して、やっとその生き方を手放し、正しい生き方を選べるようになっていけます。

間違った生き方を体験している自分に罪悪感は抱く必要はありません。

いつかは必ず、誰しもが正しい生き方を選んでいけるようになるからです。

進化、成長のプロセスを私たちは進んでいっています。

 

私なりに、罪悪感を手放すための物事に対しての捉え方を書いてみました。

どんな捉え方でもいいと思うので、罪悪感を手放すことを始めてみてください。

心が軽くなります。

 

自分の罪悪感を手放し、自分に許しを与えることができた時、他者の罪も許していけるようになっていけると思います。

他者もその時の意識レベルでは精一杯だったのだろう、何が正しくて何が間違っているのか分かっていなかったのだろうと思えるからです。

 

P119

 

★性急にひとを批判しないこと。ひとの『間違い』は、昨日のあなたの『正義』だ。

ひとの過ちは、いま訂正した昨日のあなたの行動だ。人の選択と決定が『有害』で『他人を傷つけ』、『自分勝手』で、『許しがたい』としても、いままでのあなた自身もそうであったのだ。『どうしてそんなことをするのか、想像もできない』と思うのは、自分が来た道を、そしてお互いがこれから行く道を忘れているからだ。

それから、自分は邪悪だ、価値がない、取り返しがつかないと思っている人たちに言っておこう。いつまでも迷っているものは誰もいないし、これからも決していない。全員が成長のプロセスにいるからだ。あなたがた全員が進化という経験の中を進んでいる。

 

引用終了

 

無条件の愛 ポールフェリーニ著書

 

P18

引用開始

 

過ちは学びの機会です。

過ちをおかしたといって兄弟を責めるのは、実際に自分が完全無欠でもないのに、完全無欠のふりをすることです。前にもわたしは同じことをたずねましたが、もう一度たずねましょう。だれがいったい最初の石を投げるのか

(姦通罪に問われた女が石で撃ち殺されそうになった現場に来あわせたイエスが『あなたがたの中で罪のないものが、まず石を投げるがよい』と言ったことをさして。)

 

引用終了

 

 

スピリチャルな考え方は、現代の罪を犯した人を罰するという考え方と違っています。

私も残虐な事件をニュースで知ると、なんて酷い人だ!許せない!と自動的に考えてしまうことがよくあります。

でも、自分の過去の罪を振り返ってみると、私は小学校2年生の時に問題児だったからニュースになったりしていないのだろうなと思うことがあります。

犯罪に手を染めた人たちも家庭環境が悪く、犯した罪の大きさを理解できないまま、自分の中の痛みや憎しみを相手にぶつけて精神のバランスを取っていたのではないだろうか。

いつかは、原因と結果の法則が働き、自身の罪と向き合う時がきて、正しい生き方を選んでいけるのだろうとも思っています。

宇宙には原因と結果の法則があるので、被害者というのも実はいないのだろうと思います。

誰もが過去や過去世で自分が蒔いたものを刈り取ることになっているのでしょう。

この考え方は、母には絶対に受け入れてもらえない話です。

原因と結果の法則が働いているなら、この世界は平等な世界なのだろうと思えます。

私はこの考え方を受け入れています。

 

 

 

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