私たちは何のために生きているのか?自分が何者であるかを思い出し、創りなおすため
私たちは、大切なことは全て最初から知っているのですが、物質的世界に入るときに一端すべて忘れます。
そして、自分が何者であるかを思い出していくために生きていると前回までのブログで書きました。
それらのことについて説明されている文章を紹介したいと思います。
『神との対話』P37~
(仲間由紀恵さん、窪塚洋介さん、奥菜恵さん、山本太郎さんなどが愛読しているベストセラーになった本です)
引用開始
何のためにこの世に生きているのですか?
自分が何者であるかを思い出すため、そして創りなおすためだ。・・・省略
・・・おおぜいの教師に、人生は学校だと聞かされてきました。それを否定されたのですから、正直に言うとショックです。
学校とは、知らないことを教わりたいと思うとき、行くところだ。すでに知っていて、その知識を体験したいというときに行くところではない。
(あなたがたの言う)人生とは、概念として知っていることを体験的に知る機会だ。
何も学ぶ必要はない。すでに知っていることを思い出し、それにもとづいて行動すればいい。
よくわからないのですが。
それでは、はじめから説明しよう。魂ーーあなたがたの魂ーーは、知る必要のあることはすべて知っている。隠されていることは何もないし、知らされていないこともない。だが、知っているだけでは、十分ではない。魂は体験したがっている。
自分が寛大であることを知っていても、偉大さを示す何かをしなければ、概念にすぎない。親切であることを知っていても、誰かに親切にしなければ、自意識があるだけだ。
自己についての偉大な概念を偉大な体験に変えたい。それが魂の唯一の望みだ。・・・省略
・・・自らを体験したいと激しく望んだ。すばらしいというのは、どんな感じなのか、知りたがった。だが、それは不可能だった。なぜなら、『すばらしい』というのは、どんな感じなのか、知りたがった。だがそれは不可能だった。なぜなら、『すばらしい』という言葉そのものが相対的なものだったから。『存在のすべて』は、すばらしくないとはどういうことかわからなければ、すばらしいとはどんなものかを知ることができなかった。否定があってはじめて、肯定があるからだ。
引用終了
私のことを例に挙げてみます。
生まれてくる前の見えない世界で、私の魂が概念として知っていたであろうことを書こうと思います。
自分を愛することが大切である。
私たちは、魂の存在で永遠に生き続けることができる、だから物質的世界は恐れるところではなくて、起こる出来事を利用して、本当の自分を思い出していけばいい。
神や見えない世界と繋がっていて私たちはありのままで愛されている。
などなど。
ラビリンスの映画(仮想現実である迷路を抜ける間に人間的に成長して優しくなれました)、jupiter(私たちはありのままで愛されていると歌われています)、たしかなこと(自分を愛することが大切だと歌われています)などを直感で掴み取って繰り返し見たり聞いたりしていました。
これらの映画や曲には真実が描かれていると私の魂は最初から知っていたから直感で掴み取っていたのだと思います。
私は、概念として知っていることを体験として知りたかったから、自ら望んでこの物質世界にやってきているということになります。
この物質世界は、相対的な世界です。
全部が光であったら、自らが光であるとはどういうことかわかりません。
暗闇の中に入ると、光である誰かや光である自分というものを知ることができます。
自分を愛するとはどういうことかを体験するためには、まず自分を愛することができない体験を先にすることになります。
自分を愛することができない苦しさを体験して、自分を愛することが大切なんだとわかり、間違った生き方を手放して新しい自分を創りなおすことができます。
神や見えない世界と分離した、孤独で不安な時を長く体験してきました。
やっと、見えない世界や神との繋がりを感じることができるようになって、ありのままで愛されている安心感を体験することができるようになりました。
私たちは何のために生きているのか?というと、自分が何者であるか体験的に思い出すためと、本当の自分を創り出すために生きているということになります。
神との対話P43
引用開始
わたしという全体をかたちづくっている無数の霊は、宇宙的な意味で私の子供だからである。
自分自身を分割したわたしの聖なる目的は、たくさんの部分を創って自分を知ることだった。創造者が『創造者である自分』を体験する方法は、ただひとつしかない。
それは、創造することだ。そこで、わたしは自分の無数の部分に(霊の子供すべてに)、全体としてのわたしがもっているのと同じ創造力を与えた。
あなたがたの宗教で、『人間は神の姿をかたどり、神に似せて創られた』というのは、そういう意味だ。これは、一部で言われているように物質的な身体が似ているということではない(神は目的にあわせて、どんな物質的な身体にもなることができる)。そうではなくて、本質が同じだという意味だ。わたしたちは、同じものでできている。わたしたちは、『同じもの』なのだ!同じ資質、能力を持っている。その能力には、宇宙から物質的は現実を創出する力も含まれている。
わたしたあなたがたを創造したのは、神としての自分を知るためだった。あなたがたを通してしか、知る方法がなかったからだ。
・・・省略・・・
霊の子供たちは自らを体験的に知りたがった(わたしがそうだったように!)。知識として知るだけでは、霊の子供、あなたがたにはものたりなかった。・・・省略・・・
その計画のもとで、純粋な霊であるあなたがたは、創造されたばかりの物質的な宇宙に入る。概念として知っていることを体験として知るには、物質的な世界で体験するしかないからだ。そもそも、物質的は宇宙秩序を創った理由はそこにあった。・・・
物質的な宇宙に入れば、自らについて知っていることを体験できる。それには、まず、対極を知らなければならない。簡単に言えば、背が低いということを知らなければ、背が高いということはわからない。やせているということを知らなければ、太っているということはわからない。つきつめて言えば、自分が何であるかを知るためには、自分ではないものと対決しなければならない。これが相対性の理論の目的であり、すべての物質的な生命の目的だ。自分自身を定義するのは、自分ではないものによってなのだ。
・・・省略・・・
あなたがたには、自分ではなくなることなどできない。あなたがたはもともと、神の子供『純粋な、創造的ないのち』なのだから。そこで、あなたがたは次善の方法をとった。自分がほんとうは何者であるかを忘れたのだ。
物質的は宇宙に入ったとき、あなたがたは記憶を捨てた。忘れることで、単に王国の城で目覚めるのでななく、自分が何者であるかを選べるようになった。
・・・省略・・・
したがって、地上でのあなたがたの仕事は、自分が何者であるかを学ぶことではなく(すでに知っているのだから)、思い出すことだ。そして、ほかのみんなが、何者であるかを思い出すことだ。だから、ほかのひとにもそれを気づかせること、思い出すようにしむけることも大きな仕事のひとつだ。いのちの真実を知っているすばらしい教師はみんな、そうしてきた。それがただひとつの目的だから。魂の目的だから。
引用終了
私たちは、自分が何者であるかを思い出すために生きています。
それぞれが思い出すべき魂の課題を持って地球にやってきているのだろうと思います。
人種差別的な意識を手放して愛である自分を思い出すこと。
人を許すことができる自分を思い出すこと。
罪悪感を手放し、自分に優しくなることを思い出すこと。
人それぞれ様々な課題があるでしょう。
玉ねぎの皮を一枚一枚剝いて、エゴを手放していくと、いつかは全ての人が『愛』である自分を思い出していきます。
言葉や感情や思考を使って、私たちは自分の現実を創造しています。
創造し続けています。
私は、実際に100回くらいラビリンスの映画を見て、同じような現実が創造されてこの世界のことを思い出すことができました。迷路ではないんですけどね。
映画の主人公のように理不尽なことや、いらだつこと、困難なことにたくさんぶち当たってきました。
思考が一定方向にエネルギーを与え続けると物質化、現実が創造されていきますがタイムラグがあるのでまさか自分が自分の現実を創造しているとは夢にも思っていなかったです・・・。ですから突然目の前に現れた出来事の犠牲者のような気分になっていました。
私たちの魂は、私たちの意識とは全く違う現実を創造しようとします。
苦しいことはできるだけ避けたいと意識の上では望んでいるのに、魂は私に本当の自分を思い出させるためなら苦しい現実も創造し、体験させます。
意識の私はやる気がなくて苦しいことから逃げたくてしょうがないのに、魂はやる気満々でどんどん逃げられないところに追い込んで、本当の自分を思い出させようとします。
私たちの魂は、自らが本当の自分になっていけるように、愛ある存在である自分を思い出していけるように、神との一体感を取り戻していけるように私たちを導いています。
私たちの生きている目的は、本当の自分を思い出し、本当の自分を創り出していくこと。
そして、それを他の人も思い出していけるように助けていくこと。
この二つが魂の目的です。
私たちは、生まれてからずっとこのこと以外のことをしてきていないそうです。
プロセスは自動的に進んでいます。
目的や目標がわかっていると、途中苦しまずにスピーディーに進んでいけます。
この宇宙の法則や私たちの生きている目的などを理解していくことでスピーディーに幸せになっていけます。