理解していくことで幸せになっていける

真実は準備ができた時に目の前に現れます

この世界がどんな世界であるか直感で最初から知っていた

魂は全てを知っていて、私たちはそれを思い出していこうとしていると前回のブログで書きました。

 

前回は直感で選んだ曲の中に思い出すべき大事なことが書かれていたと紹介しました。

 

今日は直感で選び100回くらい見た映画について書きたいと思います。

抜け出していき、この世がどのような世界か分かっていくようになって、改めてその映画がこの世界を見事に表現していたことに気がつきました。

私の直感は真実を最初から知っていたから、その映画を掴み取って繰り返し見ていたのだと思います。

 

この世界を表現している映画ラビリンス魔王の迷宮について今日は書きたいと思います。

デビットボウイとジェニファーコネリー主演の映画です。

 

亡くなってしまった女優の母親にあこがれて女優になることを夢見ている15歳の少女サラが主人公です。

父親は再婚しています。

継母に弟の子守を押し付けられてイライラしていたサラは愛読書のラビリンスの呪文で『弟を連れ去って』と唱えてしまいます。

すると、魔王ジャレスが現れて弟を連れ去ってしまいます。

13時間以内にゴールのお城にたどり着けなければ弟は永遠にゴブリンになってしまうと言われたサラはラビリンス(迷路)に入っていきます。

 

途中で数々の危険や困難が現れ、理不尽な思いをしながらも、協力してくれる大切な仲間たちに出会い必死で迷路を進んでいきます。

途中、弟を救い出すというやるべき使命を忘れさせるために、彼女の好きな物(ぬいぐるみやお化粧品やオルゴール)であふれた部屋に引き留めさせようと仕組まれたりもします。

しかし、最後は自分の使命を思い出しラビリンスを抜けお城にたどり着き魔王と対峙します。

その時のセリフです。

 

 

サラ)弟を返して

ジェラス)私も寛大に接してきたがそろそろ限界だ。

サラ)寛大?どこが寛大?

ジェラス)全てだ。君の願いを叶えたぞ。

望み通りに赤ん坊を連れ去った、期待通り恐ろしい魔王を演じ、時計を進めた。世界も逆さまにしたぞ。全ては君のためだ。

疲れ果てる程君の期待に応えた。寛大だろ?

 

サラ)幾多の危険と困難を乗り越えて、ゴブリンシティを抜け私はこの城へ 盗んだ子供を返して下さい。

私の意志は何よりも固く私の王国も偉大です。

あなたは無力です(You have no power over me.)

 

こうサラが言うと、ラビリンスは崩れ落ち現実の世界に戻ってきます。

弟はすやすやと自分の部屋で寝ています。

自分のぬいぐるみが部屋から無くなっている、という理由でイライラしていた時とは打って変わって、サラはぬいぐるみを弟にあげて部屋を去っていきます。

 

 

 

ここからが本題です。

大事なポイントがたくさん詰まった映画です。

 

1)私たちは本当の姿を思い出すためにこの世界にいる

2)大切な人のために恐れを捨てて強くなる大切さを学ぶ

3)全てのことは自分のため、本当の自分になるために起こっている

4)困難に見える現実を幻想と見抜き、恐れなくなったときに幻想は力を失い目の前から消えていきます。

5)物質的なお金や物に囚われてしまうと魂の成長のスピードが落ちます。

6)私たちは自分が望む世界を自分で創造し、体験しています。

そして、本当の自分を思い出そうとしています。

より大きく成長した自分を創り出そうとしています。

 

 

1)私たちは本当の姿を思い出すためにこの世界にいる

 

 

まず、ラビリンスは架空の世界であり幻想が次々と現れてきます。

理不尽な事、危険、困難…。

サラはその出来事(本当は幻想なのですが現実に見えます)と向き合い乗り越えることで驚く程、強く、賢く、優しくなっていきます。

ぬいぐるみを自分の部屋から持ち出したという理由で怒っていたサラがラビリンスから戻ると弟にそのぬいぐるみをあげました。

ラビリンスでの困難や苦しいことが彼女を優しい賢いお姉さんに変えました。

サラはラビリンスでの出来事を通して優しく賢い、本当の自分を思い出すことができました。

 

 

私達が住む世界はラビリンスのような世界で次々と自分に必要な課題が現われてきます。(魂は永遠なのでこの世界の事も幻想です)

 

私たちは、その課題(困難や苦しみ)を乗り越えることで本当の自分を思い出す旅をしています。

私達は自分達の存在が本当はどういう存在か知っているのですが一度忘れて地球にやってきて思い出していこうとしています。

知識概念として知っていることを、地球で実際に体験して本当の意味で思い出し、理解したいと思っています。

 

2)大切な人のために恐れを捨てて強くなる大切さを学ぶ

 

魂は永遠なので自分が無になってしまうような死はありません。

だから、恐れを捨ててこの世界を生きて大丈夫なのです。

 

 

弟を助けるためにサラが恐れを捨てて階段を飛び降りるシーンがあったり、臆病者のホグル(サラの仲間のゴブリン)が仲間を助けるために恐れを捨てて敵に立ち向かうシーンがあります。

愛する人のために恐れを捨てて困難に向かっていく大事さも映画から学ぶことができます。

 

3)全てのことは自分のため、本当の自分になるために起こっている

 

魔王ジェラスが君の願いをすべてかなえた、自分は寛大だといいます。

これもある意味では正解なのです。

魂が成長するためには悪や困難が必要です。

毎日穏やかで平和であったら自分の欠点もわからず、大きく成長を遂げることは難しくなります。

振り返ってみると、あの困難があったからここまでこれた、あの困難があったから今の自分があると思ったことはありませんか?

本当の自分を思い出すために、自分に必要な困難を与えてくれるジェラスはサラの為に存在したと言えます。

 

4))困難に見える現実を幻想と見抜き、恐れなくなったときに幻想は力を失い目の前から消えていきます。

 

サラが恐れを捨てて、幻想が無力であると見抜いた瞬間にラビリンスはサラにとって必要ではなくなり壊れて消えて行きます。

私たちが魂の存在で永遠に存在し続けると悟れた時は、今まで恐れてきたこと、死や貧困などであっても本当は恐れなくていいとわかるのだと思います。

 

 

5)物質的なお金や物に囚われてしまうと魂の成長のスピードが落ちます。

 

サラの使命を忘れさせるために、ガラクタを大量に背中に積んだ醜いゴブリンがサラを誘惑します。

あなたの好きなおもちゃがここにはたくさんあるよと言います。

お金を手に入れたい、物が欲しい、など物質的な欲求に囚われてしまうと、この世界に生まれた意味や使命を忘れてしまい成長が停滞してしまいます。

 

6)私たちは自分が望む世界を自分で創造し、体験しています。

そして、本当の自分を思い出そうとしています。

より大きく成長した自分を創り出そうとしています。

魂は自分の意識では到底選ばないような選択を私たちに選ばせて現実を創造し自分を成長させようと導きます。

 

サラはラビリンスの本を愛読していました。

女優に憧れセリフを繰り返し読み頭に叩き込んでいました。

すると、その世界が目の前に現われて体験することができました。

本当の自分を思い出し、大きく成長した自分が創り出されました。

私達一人一人にも現実を創造し、体験する力があります。

言葉や感情や想念で現実を創造することができます(引き寄せの法則

 

 

ラビリンスはこういった大事なことを伝えてくれている映画です。

本当は知っていて思い出していくことをしているという発想は分かりにくいかもしれません。今はへぇ~って感じでも大丈夫です。

私はこの映画が、この世界の真実なのだと最初から知っていたから直感で選んで100回くらい見たのだと思います。

実際に、この映画のような体験をしていって、この世界はこういう世界だったんだと本当の意味で理解することができました。

現実を創造して、実際に思い出すことができました。

思い出すのには、すごく時間がかかりましたが・・・。

繰り返し繰り返し見たくなる映画や曲は、現実を創造していく力があると感じています。

この映画いいなぁ~こんな体験したいな~と繰り返し、ワクワクしたり、感動したりすると、潜在意識のスイッチが入り現実が創造されていくのだと思います。

 

 

後々そのことについても書いていこうと思います。

とりあえず、もうひとつだけ本当は大事なことを最初から知っているという内容でブログを書きたいと思います。

 

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私たちは最初から答えを知っている、だから思い出していけばいい

私たちは、大切なことを本当は全て知っています。

それを思い出していく作業をしています。

これはどういうことだろう?って思いますよね。

 

私も初めて聞いたときは???でびっくりしました。

 

私たちには直観力があります。

その直観力は私たちが真実を最初から知っていることを教えてくれます。

 

前回のブログで書いたように、何が正しいのか何が正しくないのだろうかと考えた時に直感的にこれが真実だろうとわかるので、本当は知っていたんだとなります。

これも答えを知っていることの一つです。

 

ただ、今日ここで書きたいのはそれとは違う視点から真実を知っているということを説明したいと思います。

直観力が真実を掴み取っているということについてです。

千と千尋の神隠しの主題歌『いつも何度でも』の歌詞を紹介します。

 

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっと歌おう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充(み)たされてゆけ

海の彼方(かなた)には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから

 

ヒットして多くの人に支持された曲です。

私も昔からずっと好きでした。

私が失恋したときに改めて聞きたくなった曲です。

自分は孤独感や自分の心の中の空っぽを満たすために恋愛の相手を探してきてきました。

でも得ることができない体験をした後で、実は自分を満たしてくれるものは外側にあるのではなく自分の内側にあったのだと本当の意味で気がつくことができました。

直感で選んだ本や直感で選んだ曲が私に教えてくれていました。

 

私は昔からこの曲に歌われていることが真実だと知っていたんです。

最初から知っていた、だから好きな曲として直感で掴み取って繰り返し聞いていました。

そして実際に体験して、痛い目にあったりしながら、この曲に書かれていることの本当の意味を思い出すことができました。

私以外のたくさんの人も直感でこの曲に書かれていることが真実だと掴み取っているのだと思います。

これは一つの例でもっとたくさんあるので次回違う例をあげて説明したいと思います。

私たちは全てを最初から知っていて、それを思い出すことをしているんだと覚えておいてください。

 

 

一つ目の例としてあげた内容、自分を満たすものは自分の内側にしかないということにつても書きたいと思います。

直感で選んだ本にそのことが書かれていたので紹介したいと思います。

 

 

『さとりをひらくと人生はシンプルになる』 エリックハルトトール P248

 

外界のものに幸せを求めれば求めるほど、ますますそれらに惑わされてしまいます。

外界のものはどれも、一時的もしくは表面的にしか、私たちを満足させません。

しかし人間というものは、何度も幻滅を味わうまでは、この真実に気づかないものなのかもしれません。

ものや状況は、わたしたちに快楽を与えてくれますが、同時に痛みを与えます。

それらは私たちに快楽を与えることはあっても、『心の平安』を与えてくれません。

この世のものは、なにひとつ、私たちに『心の平安』の喜びを与えはしません。

『心の平安』は、なにものにも依存せず、心の奥底から湧き上がってくるものだからです。これが『大いなる存在』の本質であり、『神の平和』と呼ばれている境地なのです。

 

P258

私は瞑想を日課にしています。これまで参加してきたワークショップは数知れません。

精神性を高める本も山ほど読みましたし、あなたのおっしゃる『無抵抗』の境地に達するためにかなり頑張りましたよ。

それでもなお、永続的な『心の平安』を見つけたのかと問われれば、正直なところ、答えは『ノー』です。

なぜ、私はそれを見つけられないんです?ほかにいったい何をすればよろしいんでしょう?

 

答え 

あなたは、自分の外側に『心の平安』を求めているからです。

『もしかすると、次のワークショップに答えがあるかもしれない』『もしかすると、新しいテクニックがあるかもしれない』。このように、『探す』という姿勢でいるかぎり、『心の平安』の境地に達することはありません。

『心の平安』は探して手に入れるものではないからです。

 

引用終了

 

『今この瞬間』への旅    レナードジェイコブソンン著書P260

 

心(マインド)の世界でさ迷い、一つの利己性(エゴ)として機能しているときのあなたは、人生の源から切り離されています。愛の源から切り離されています。

神から切り離されています。そのために、あなたは絶望的になっているのです。

あなたは独りきりになることを恐れています。そして、孤独で分離していることを感じなくてもいいようにと、一緒にいてくれる誰かを、人生で欲するのです。

 

そして、あなたは誰かを出会って恋に落ちます。

しばらくの間、あなたは完全であると感じます。

しかし、それは長く続きません。長く続くことはあり得ないのです。

あなた自身の外側で完全性を見つけることはできないからです。

それは不可能です。愛の源は、あなた自身の外側では、見つけることはできません。

そして、遅かれ早かれ、心(マインド)のレベルの愛は消えていきます。

 

あなたは、自身の分離の中に、何度も何度も、ある生涯から次の将来へと戻っていくでしょう。

あなたが向きを変えるまで。あなたが内面を見つめるまで。

あなたが誰なのかを思い出すまで。

 

引用終了

 

私たちは日々の中で、いつも自分の外側にあるものが自分を満たしてくれるのではないかと期待を抱いて暮らしていると思います。

あの洋服を買ったら幸せを感じられるのではないか、あの習い事を始めたら満たされるのではないか、理想の恋人がいたら、お金持ちになったら幸せになれるのではないか…欲求はきりなく生まれてきますよね。

 

実際は、買ったら満足してまた次の洋服を欲しがってしまったり、理想の恋人が現れたと感じても、その愛を失いたくないと思い本当の自分ではない生き方を始めてしまって関係が壊れてしまったり、期待していたことが満たされずに失望したりしてしまいます。

習い事を始めたらもっと幸せになれるのではないか、ワークショップに参加したら楽になるかもしれない、友達がいればと外側に常に探し求めてしまいますが、どこか満たされた感覚が続かないのを感じていたりします。

 

スピリチャル的にも、心理学的にも、悟りの考え方でも一致しているのですが、自分の外側に自分を満たすものを探していてはいつまでも満たされません。

 

自分で自分に優しくしたり、自分に愛情を注いだり、自分に許しを与える事。

そいうことを続けることで心の平安を得ることができます。

 

私たちは、まず最初は外側に探し続けて満たすものがないことに気がつき、その時に初めて自分の内側に向かって帰ってくる。

そして、自分の足元に満たすものは全てあったのだと気がつくそうなんです。

 

それを上手に表現している文章があるので紹介したいと思います。

 

『それは在る』 ヘルメス・J・ジャンブ著書

 

 

P367

 

『いいかね、我々は我が家から出発して、そして我が家に帰還する。………高速でとある道を走っていた車は、ある時、「この道はどこにもたどり着くことはできない」と知る。道の道中では、確かに良いこともあっただろう。でも決して心底満足できるものは何もありはしなかった。そして、「まだこの先に自分を満足させる何かがあるかもしれない」そう思ってさらに道を進むのだが、車はやはり気づく「この道は楽しくないと「どこにもたどり着かない」と。そんな矢先に、彼はタイミングよく、教えを聴く。「あなたがやってきた源に帰りなさい。そこは天国だから」と。………省略……車はUターンして源に向かい走り始めている。………省略……徐々に加速し、高速になる。進化はすでにはじまっている。もう誰にも止めることはできない。……省略……その時には、もう源は目の前だ。源と車は、ほとんど一体に近い。車は自動的に走っていた。はじめから、その終わりまで。そして、歓喜がやってくる。出発した我が家こそが目的地だった。なぜなら、その場所が最高の天国だったからである。』

 

今日書いた内容は、初めて聞いた人には受け入れられなかったり、信じられないような話かもしれません。

ただ、私たちはあらかじめ大事なことを知っていて、好きな映画、好きな曲、好きな本などには真理や真実が書かれていて、直観力で掴み取っている可能性があるんだと知っていてください。

見えない世界では知識や概念として真実を知っているけれど、体験することができないそうなんです。

だから地球では知っている概念や真理を、体験することを通して本当の意味で理解したいと私たちの魂は望んでいます。

今日はこのことと、私たちは自分を満たすものを外側に一生懸命探しているが、いつかは、自分の内側に自分を満たすものがあるのだと気がつく時がくるのだということを心に留めておいてください。

 

ついていけなくても、ずっと読み続けていくうちに、なるほど、そういうことだったのか!と腑に落ちる時がきます。

ふ~んというような軽い気持で読んでいただけたらと思います。

 

 

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直感的な知恵に照らし合わせると何が真実か見えてくる

 

 

誰もが救われたいし、愛や平和や希望を感じたいと思って生きていると思います。

 

誰かが救ってくれないだろうか?

どうやったら愛を得られて、平和を感じられるようになるのだろうか?

納得できる真理はないだろうか?

自問自答しながら私自身ずっと探し続けてきました。

 

その答えは自分の中にありました。

 

『前世療法』『魂の伴侶 ソウルメイト』の著書で有名な精神科医ブライアンワイス博士も『魂の療法』という著書で答えは自分の中にあると語ってくれています。

自分の心のフィルターに掛けて、何が真実であるか?何が間違っているか?を判断していき、正しいと思うものだけを取り入れていくことが大切です。

その教えには、愛、親切、平和、喜びがあるか?

それとも、分断や憎しみを呼び起こすものであるか?

その教えが真理であるかどうかの判断基準になってくれます。

私達の直観力は思った以上に信頼に値します。

私たちの心は、本当は何が正しいか正しくないかを知っているのです。

偉い人が言っていた、聖なる書物に書かれている、昔から正しいと言われている、そんな理由で安易に誰かの考えを自分の中に取り入れていては真実にはたどり着けません。

自分の直感を信じた方がいいのです。

 

私は、自分の直観力で正しい、これは真理だと思った物だけを集めてきてこのブログを書いています。

聖書に書かれていることでも正しいと感じるもの、正しくないと感じるものがあります。

一冊の本の中でも正しいと感じる箇所、違うと感じる箇所があります。

正しいと思うものを取り入れていくと、いつの間にか、納得のいく答えや真実が見えてききます。

そして、恐れが消え、喜びと平和を見つけることができるようになっていきます。

 

今、世界中に様々な宗教があります。

その宗教によって分断や憎しみが呼び起こされてしまっています。

世界中の人達が、宗教や政治のような、自分の外側にあるものに答えを探すのではなく、一人一人が自分の内側に答えを探すことが出来たなら、もっと人々は近づけるのだろうと思います。

 

そのことについて書かれている本がいくつかあるので紹介します。

 

ブライアンワイス博士の『魂の療法』

P259

 

(様々な公演を聞くためにロサンゼルスに4万人の人が集まっていた時の話しです。

ワイス博士が4万人すべての人に語りたかったことについて書いた内容です。)

 

 

何の確証も研究もなしに講演者がくり広げる荒唐無稽な話を聞きながら、私は聞き手の反応を推し量ろうとしました。

がっかりしたことに、沢山の人々が何も考えもせず、自分の意見も持とうともせずに、彼らの話を受け入れてうなずいていたのでした。

四万人の大部分は、自分の人生にもっと何かが欲しくて、そこに来ていました。

………

そして、新しい体験や気づきを欲していました。

また、成長したがっていました。

刺激を受けたがっていました。

みんな、私達誰もが欲していること、つまり喜びと平和を発見し、体験する方法を望んでいたのです。

でも、ほとんどの人は批判する心を家に置いてきてしまったようでした。

四万人全部に向かって話しができたら、と私は思いました。

自分の外側に答えや手っ取り早い解決策や治療を求めるのはやめなさい、と彼らに言いたいと思いました。

自分の中を見なさいと言いたかったのです。

今ここで、あの熱心に自分の人生を変えたがっていた四万人の人々に言いたかったことを、私はみなさんに忠告したいと思います。

 

もっと、霊的(スピリチュアル)になりなさい。

より多くの時間を、祈りと、与えること、他の人を助けること、愛することに使いなさい。

ボランティアをし、気前よく与え、愛を表現しなさい。

プライド、エゴ、利己主義、怒り、罪悪感、虚栄心、野望を捨てなさい。

物をため込む、心配する、過去や未来ばかり考える、他の人を傷つける、暴力を振るうなどの時間を、もっと減らしなさい。

自分の直観的な知恵に照らし合わせずに、誰かの考えを受け入れてはいけません。

それは、愛、親切、平和、そして結びつきを強めるものですか?

それとも分離、分派、憎しみ、自己中心主義、暴力を助長しますか?

あなたは、不死の存在です。

そしてこの地球上に学ぶために、賢くなるために、神のようになるために、やって来たのです。

ここで学んだことを、あなたは死んだ時に一緒にもってゆきます。

それ以外のものは、何一つ持ってゆくことはできません。

とても簡単なことなのです。

天の王国はあなたの内にあります。

グルを求めるのはやめて、あなた自身を見つけてください。

 

(※グル「指導者」「教師」「尊敬すべき人物」)

 

 

 

神との対話1 P89

 

だいたいあなたがたは親や学校、宗教、聖書を間違っていると考えたがらない。

だから、教えられたと思うことを受け入れて、体験の方を否定する。

 
 
シルバーバーチの霊訓10 P174
 
 
P182~183
ーーー間違った教えをたずさえて霊界入りする者が多すぎるとおっしゃいましたが、ヨハネ福音書にはイエスを信じることによって永遠の命を授かると述べられています。
 
それは間違いです。
人間は一人の例外もなく死後も生き続けるのです。
何かの教義や信条、あるいはドグマ(宗教の教義)を信じることによって永遠の生命をさずかるのではなく、不変の自然法則によって生き続けるのです。
それ自体は宗教とは何の関係もありません。
因果律と同じ一つの法則なのです。
 
いま引用なさった文句は地上に大きな混乱のタネを蒔き人類を分裂させてきた言葉のひとつです。
一冊の書物、それも宗教の書、聖なる書が、普通の書が起こそうにも起こせないほどの流血の原因となってきたということは、何という酷い矛盾でしょうか。
宗教の目的は人類を不変の霊的関係による同胞性において一体ならしめることにあるはずです。
 
P85
 
いかなることにせよ、良いことをすればそれだけ霊性が向上し、自己中心的なことをすれば、それだけ霊性を損なうのが道理です。
良きにつけ悪しきにつけ、あなたの霊的運命を定めていくのは、あなた自身です。
あなた自身のことに関して最後に責任を負うのはあなた自身です。
もしも死の床にあって罪を告白し特別の信仰を受け入れれば立どころに罪が赦されて潔白の身になれるとしたら、それはまさにお笑いものであり、茶番劇というべきです。
 
引用終了
信じたものだけが救われて、信じなかったものは救われない。
散々罪を犯しても、死ぬ前にその罪を告白したら全部赦される。
この二つは私も間違っているのではと感じます。
こんな虫のいい話はないだろうと思います。
 
罪を犯したなら原因と結果の法則が働き、逆の立場を体験させられる。
苦しみを体験することによって同じような罪を犯さないように成長していき、愛である自分を思い出していく。
そして他者への共感が深まり、すべての人を愛せるようになっていく。
いつかはすべての人が神のようになっていき真の幸福にたどり着けるようになっている。
私の直感はこちらが正しいと感じます。
自分の直感を信じることが大切です。
 
パレスチナの人もイスラエルの人も政治や宗教に答えを探すのではなく、自分の心の中の直感や良心の中に答えを見つけることができたなら、歩み寄れるのではないかと思います。
 
私たち一人一人が自分自身の中に答えを見つけていくことで平和な世界が呼び出せるのだろうと思います。
戦争や紛争のない平和な世界になっていくように願っています。
 
 

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宇宙の創造的な力を働かせるにはどうしたらいいか~愛や豊かさが欲しい時~

宇宙の創造的な力を働かせて、愛や豊かさを自分にもたらすにはどうしたらいいかについて今日は書きたいと思います。

非常にわかりやすく書かれている文章があるので紹介します。

 

神との対話3』 (対話形式になっています。★神〇著者)

P34

 

★幸せになろうと思うなら、人を幸せにしてやりなさい。

豊かであろうとするなら、人を豊かにしてやりなさい。

それも、真剣にすること。自分の利益のためではなく、ほんとうにひとのためになろうと思うこと。

そうすればすべてはあなたに返ってくる。

 

〇どうして、そうなりますか?どんなふうにして、そうなるんですか?

 

★何かを与えると、自分が持っているものを与えるという経験ができるからだ。

自分が持っていないものを与えることはできない。

だから精神は自分について新しい結論を出す。新しい考え方をする。

自分は持っているにちがいない。そうでなければ与えられはしないからと。

この新しい考え方があなたの経験になる。あなたの状態になる。

いったんその状態になれば、宇宙で最も強力な創造のマシンが動き出す。

神聖な、あなた自身というマシンが。そこで、あなたはその状態を創造しはじめる。

これで円は完成し、あなたはもっともっと多くを創造する。

それが、物理的な存在としてのあなたのなかに現れる。

これが人生の最大の秘密だ。

 

〇すみませんが、説明してください。どうして、自分のために選んだものをひとに与えるとき真剣でなければならないんですか。

 

★下心があって、自分が手に入れる方便としてひとに与えると、あなたの精神にはそれがわかるからいま自分はもっていないからだ、だから与えるんだとね。

宇宙は巨大なコピー機だから、あなたの考えを物理的なかたちで、つまりあなたの経験として再生する。

すると、あなたは、『もっていない』状態を経験しつづける。

何をしようと関係なく!

・・・・

純粋に心からひとに与えれば、相手が欲し必要としている、もたせてやるべきだと信じて与えれば、自分に与えるべきものがあるとわかるだろう。それは、偉大な発見だよ。

 

 

引用終了

 

 

著者のニールは、ホームレスを経験したこともあり、豊かではありませんでした。

いつも小切手の支払いに追われて苦しかったそうです。

苦しい生活に腹を立てたりしたときに、神さまに手紙を書く習慣があったそうなんです。

宇宙は『求めよさらば与えられん』の世界ですから、本当に見えない世界の神様から答えが返ってきました。

常々疑問に感じてきたことに対しての答えが与えられたそうです。

それを著書にして出版しベストセラーになり豊かになっています。

彼がなぜ豊かになれたか。

それは宇宙の創造的な力が働いたのだろうと想像ができます。

 

彼がお金も食べ物もろくにない時に、自分よりさらに困窮したカップルを自宅に招き食事を与えて、20ドル札を渡したことがあったそうです。

 

彼は、人に与えたことによって、自分には与えるものがあるという体験をすることができました。

それまでは、常に不足に意識が向いていたからいつまでも持っていない状態を体験し続けてきていたのだと思います。

 

見えない世界から届けられた知識や真理を本を通して他者に与えたことにより、更に見えない世界から知識が届けられたのでしょう。

その後、何冊も本を書くことができました。

著書を通して他者を幸せにするのを手伝ったので、多くの人から感謝され愛が届けられていると思います。

実際に世界を代表するスピリチャルリーダーとして有名になり富も得たと思います。

 

与えるという体験を先にすることで、自分は持っている人間なのだと宇宙に宣言することになりますから、同じような状態が再創造されて持っている体験をすることができる。

こういった創造のプロセスが宇宙にはあります。

 

ネットのニュースで知った話です。

ガソリンが無くなってしまった女性にホームレスがなけなしのお金を分けてあげたという美談がありました。

助けられた女性がネットで寄付を募り、彼がホームレスから抜け出していけるように4500万円集めたそうなんです。

でもこれはお金を得るために計画していた詐欺だったそうなんです。

お金を得たいから詐欺を働いた、自分は持っていないと宇宙にはバレてしまいます。

結果持っていない状態を繰り返し経験し続けることになります。

結局、逮捕されて、お金は取り上げられてしまったようです。

 

 

神との対話の著者ニールの話とは正反対の内容です。

 

私自身、自分が見つけた真理や知識を見返りを求めずに他者にシェアするようになり、更に真理や知恵が与えられるようになっていると感じています。

与えるものを持っている状態を宇宙に宣言できているのだと思います。

一期一会でも周りの人の幸せを応援したり、見返りを求めずに温かい気持ちを届けようと心がけて暮らしています。

やっぱり愛が届けられると感じています。

 

お金に関しては、神との対話にも書いてあったのですが、寄付しようか迷ったら迷わず寄付をしたほうがいいみたいです。

寄付しようと思ってもつい、思考が邪魔をしますよね。

もったいないかな、これがあれば何ができるかなど・・・。

そうやって考えを変えてしまう前に行動をしてしまうことが大切だそうです。

与えると、自分は与えられるのだから持っているに違いないとなるそうです。

ただ、将来お金が欲しいから、先に寄付しておこう。

これは絶対ダメです。

欲しいのね、持ってないのねってなって持っていない状態が再創造されてしまいます。

 

お金に関しては、できる範囲で見返りを求めずに寄付をしています。

しかし、まだまだもったいないのでは・・・って心も顔を出すんですよね(笑)

私は持っているんだ、だから与えられるんだ、与えられたという円が完成するようになったらいいなぁと思います。

 

皆さんも、持っているものを私たちは与えられるんだということを心にとめて暮らしてみてください。

 

見返りを求めずに愛を届けて、知識を与えてあげて、他者を助ける体験をしてみて下さい。

そうしたら、いつか必ず、愛や知識や豊かさが何倍にも大きくなって自分に返ってくるはずです。

蒔いた種を刈り取ることができるのだから、いい種を撒きたいですよね。

 

この宇宙の法則が世界中の人に理解され受け入れられたなら平和な世界が呼び出せるのだろうなと思います。

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自己嫌悪は成長し新しい自分になっていく最大の敵~罪悪感を手放す~

困難や出来事を利用し、本当の自分になるために私たちは地球に生まれてきているとブログのスタートに書きました。

本当の自分になっていくためには、自分の中にある罪悪感を手放すことが大切です。

 

罪悪感を抱くと、自分を愛せなくなります。

人間関係で最も重要な関係は自分自身との関係だと言われています。

自分を愛せる人は、他者からも愛されて幸せになっていけます。

しかし、自分を愛せなくなると、他者を愛せなくなり幸せになっていけません。

 

幸せになっていくためにも、罪悪感を手放していきましょう。

 

皆さんはどんな罪悪感を抱えていますか?

 

私は、性格が悪かった小学生低学年の頃、悪いこともしていました。

罪を犯していました。

周りの大人は私が悪いことをしているにもかかわらず注意もしてくれず見ているだけでした。

子供心にも悪いことをしていたのだと自覚もありましたし、他の人にも知られていたこともあって、ずっと罪悪感を抱いて生きてきました。

悪いことをしてきた人間なのだと思い出しては自分を責めて自分を嫌っていました。

時々頭の中に思い浮かぶと自分はダメな人だったと頭を叩いたりしていました。

 

小学校5年生の頃の話ですが、卒業生6年生との交流会がありました。

担任の先生が5年生代表で挨拶をする人を選んでおかなくてはいけなかったのに、選ぶことをすっかり忘れていて、挨拶の直前に私に壇上に登るように言われました。

挨拶をしなくてはいけなくなりました。

元々非常にあがり症で気の利いたことをとっさに話せるような人間ではありません。一言しか言えずに壇上から降りてきてしまい皆に笑われてしまった経験があります。

きちんと挨拶できなかった自分が恥ずかしく、いつまでも思い出しては自分を責めていました。

小学校2年生の時に仲間外れにして人を傷つけてきたことも自分の中に罪悪感として残っていました。

 

そんな私が罪悪感を手放せるようになったのは本の言葉のおかげでした。

いくつか紹介したいと思います。

 

神との対話3 ニール・ドナルド・ウォルシュ著書

 

引用開始(対話形式になっています。★神〇著者)

P19

★過去に与えたと思ういろいろな『被害』を償いたいのなら、行動で示しなさい。

できることをしなさい。そして、あとは忘れなさい。

 

〇それは、言うは易く行うは難し、ですよ。ときには、罪悪感に押しつぶされそうになります。

 

★人間の唯一の敵は、罪悪感と不安だよ。

 

〇罪悪感は大切です。自分が悪いことをしていると教えてくれるんですから。

 

★『悪い』ことなどないよ。ただ、自分の為にならないことがあるだけだ。自分の真実、こうあろうとするほんとうの自分を語らない行いがあるだけだ。

罪悪感を覚えていると、自分らしくない自分から抜け出せない。

 

〇罪悪感は、少なくとも道をはずれたと教えてくれます。

 

★それは、気づきであって、罪悪感ではない。いいかね、罪悪感は畑を枯らす病気だ。植物を殺してしまう毒だよ。罪悪感をいだいても成長はしない。ただ、しなびて死ぬだけだ。

あなたが求めているのは、気づくことだ。気づくことと罪悪感はちがう。愛が不安とちがうように。愛と気づき、これが真の友だ。混同してはいけない。片方はあなたを殺し、片方は生命を与える。

 

〇それでは、いっさい『罪悪感』を感じなくていいのですか?

 

★もちろん、感じなくていい。感じて、どんな良いことがあるのかね?自分を愛せなくなるだけではないか。すると、ひとを愛するチャンスもなくなるよ。

 

 

P115

★あなたには価値がある。誰にでも価値があるように。価値がいないというのは、人類に浴びせられた最悪の非難だ。あなたは過去をもとに自分の価値を決めるが、わたしは未来をもとにあなたの価値を決める。

未来、未来、つねに未来だ!人生、生命は未来にあるのであって、過去にはない。未来にこそ真実があるのであって、過去にはない。これまでしてきたことは、これからすることにくらべれば重要ではない。これまで犯してきた過ちは、これから創造するものにくらべれば何の意味もない。

あなたの過ちを赦そう。すべての過ちを赦そう。あなたの間違った情熱も赦そう。すべてを

赦そう。・・・

ほかの人は赦してくれなくても、わたしは赦す。ほかのひとは罪悪感から解放してくれなくても、わたしは解放する。過去を忘れて前進し、新しい何かになることを誰も認めてくれなくても、わたしは認める。あなたは過去のあなたではなく、いつもいつまでも新しいあなただと知っているから。

 

引用終了

 

その人が過去に何をしてきたかよりも、これからどんなことをしていくかの方がずっと大切であること、間違いをしたと気がつくことが大切なのであって、罪悪感を抱く必要はないとも書かれています。

罪悪感を抱くと自分に対して否定的な気持ちを抱いてしまいます。

それが宇宙に届き、感情がコピーされ再創造され同じような体験を繰り返してしまうことにもなります。

幸せになっていけなくなってしまいます。

 

人にはそれぞれ意識のレベルがあるといいます。

魂の成長の進んだ人もいれば、まだそこまで進んでいない人もいます。

かつての自分は大事なことがわかっていなかったけれど、今はわかっているということってありますよね。

その時の自分の意識レベルではそれが正しいと思っていたんだ、自分の中では精一杯だったのだと自分を許すことでも罪悪感を手放すことができます。

 

人間は、間違った生き方を散々体験して、やっとその生き方を手放し、正しい生き方を選べるようになっていけます。

間違った生き方を体験している自分に罪悪感は抱く必要はありません。

いつかは必ず、誰しもが正しい生き方を選んでいけるようになるからです。

進化、成長のプロセスを私たちは進んでいっています。

 

私なりに、罪悪感を手放すための物事に対しての捉え方を書いてみました。

どんな捉え方でもいいと思うので、罪悪感を手放すことを始めてみてください。

心が軽くなります。

 

自分の罪悪感を手放し、自分に許しを与えることができた時、他者の罪も許していけるようになっていけると思います。

他者もその時の意識レベルでは精一杯だったのだろう、何が正しくて何が間違っているのか分かっていなかったのだろうと思えるからです。

 

P119

 

★性急にひとを批判しないこと。ひとの『間違い』は、昨日のあなたの『正義』だ。

ひとの過ちは、いま訂正した昨日のあなたの行動だ。人の選択と決定が『有害』で『他人を傷つけ』、『自分勝手』で、『許しがたい』としても、いままでのあなた自身もそうであったのだ。『どうしてそんなことをするのか、想像もできない』と思うのは、自分が来た道を、そしてお互いがこれから行く道を忘れているからだ。

それから、自分は邪悪だ、価値がない、取り返しがつかないと思っている人たちに言っておこう。いつまでも迷っているものは誰もいないし、これからも決していない。全員が成長のプロセスにいるからだ。あなたがた全員が進化という経験の中を進んでいる。

 

引用終了

 

無条件の愛 ポールフェリーニ著書

 

P18

引用開始

 

過ちは学びの機会です。

過ちをおかしたといって兄弟を責めるのは、実際に自分が完全無欠でもないのに、完全無欠のふりをすることです。前にもわたしは同じことをたずねましたが、もう一度たずねましょう。だれがいったい最初の石を投げるのか

(姦通罪に問われた女が石で撃ち殺されそうになった現場に来あわせたイエスが『あなたがたの中で罪のないものが、まず石を投げるがよい』と言ったことをさして。)

 

引用終了

 

 

スピリチャルな考え方は、現代の罪を犯した人を罰するという考え方と違っています。

私も残虐な事件をニュースで知ると、なんて酷い人だ!許せない!と自動的に考えてしまうことがよくあります。

でも、自分の過去の罪を振り返ってみると、私は小学校2年生の時に問題児だったからニュースになったりしていないのだろうなと思うことがあります。

犯罪に手を染めた人たちも家庭環境が悪く、犯した罪の大きさを理解できないまま、自分の中の痛みや憎しみを相手にぶつけて精神のバランスを取っていたのではないだろうか。

いつかは、原因と結果の法則が働き、自身の罪と向き合う時がきて、正しい生き方を選んでいけるのだろうとも思っています。

宇宙には原因と結果の法則があるので、被害者というのも実はいないのだろうと思います。

誰もが過去や過去世で自分が蒔いたものを刈り取ることになっているのでしょう。

この考え方は、母には絶対に受け入れてもらえない話です。

原因と結果の法則が働いているなら、この世界は平等な世界なのだろうと思えます。

私はこの考え方を受け入れています。

 

 

 

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宇宙の法則で一番有名な『原因と結果の法則』

原因と結果の法則、因果関係の法則、蒔いた種は刈り取る、様々な言い方がありますが、すべて同じことを言っています。

自分が引き起こした結果は、自分自身が体験することになるということです。

 

全世界で2400万部売れた『ザ・シークレット~引き寄せの法則』の原点となった、『ザ・メタ・シークレット』の著書にも『原因と結果の法則』は宇宙の法則の中で一番よく知られている法則だと書かれています。

 

ザ・メタ・シークレット 実践編 メル・ギル著書 の一部を紹介します。

 

引用開始

 

原因と結果の法則とは?

 

すべてのものには原因があり、それにともなった結果がある。

偶然とは原因の見つけられない結果である。

この宇宙には偶然はなく、必ず結果のもととなる原因があり、望む結果を得るためには、その原因を自ら作り出していく必要がある。

 

引用終了

 

『魂の療法 ブライアンワイス 著書』

 

引用開始

 

重要な宗教に共通する価値観

 

仏教・・・蒔いた種は刈り取らなければならないということは、自然の法則である。

 

キリスト教・・・人は蒔いたものはすべて、自分で刈り取るであろう・・・神はその人の行いに従った報いを人に与えるだろう。

 

ヒンズー教・・・あなたが蒔かないものを、得ることはできない。あなたが木を植えれば木が生長する。

 

ユダヤ教・・・自由な人は豊かになり、水をやる人は、水を与えられるであろう。

 

引用終了

 

有名な引き寄せの法則の著書にも書かれていますし、既存の宗教の共通の教えの一つにもなっているのが原因と結果の法則です。

四文字熟語に因果応報という言葉もありますし、バチが当たるという言葉も日常で使ったりしますよね。

 

この宇宙には、原因と結果の法則という非常に大切な法則があるということを心にとめて暮らしていくことが大切です。

 

前回のブログではよい種をまいた時の話でした。

悪い種を撒き刈り取った経験もあるのでそのことについても書こうと思います。

 

小学校2年生頃の話です。

母が精神的に頼りにしていた自分の母親を亡くし、不安定になっていたことがも影響して、私は愛情不足で育っていました。理不尽なことで怒られたり、兄と差をつけられて育てられたり家庭が安らぎの場所ではありませんでした。

性格が悪い子供でした。

自分の中にある痛みや憎しみといったものを、立場の弱い人に吐いてなんとか精神のバランスを取っていたのだと思います。

下校途中に3人の中で一人を仲間はずれにしたり、意地悪なことをしたり、先生から呼び出されて怒られたこともありましたが反省もしていませんでした。

当時の自分は自分が悪いことをしているという自覚もありませんでした。

冷たくて残酷な性格でした。

その後、そのままの性格では友達から好かれるわけもなく、ありのままの自分は人から好かれないと気がつくようになりました。

それからは他者に苛立ちを吐き出すことはしなくなり、自分の内側に溜めて我慢をしていくYESマンになっていきました。

中学校3年生の時に、小学校の時と逆の立場を体験することになりました。

クラス替えをしたら、仲良しの友達が一人もいなくて、自分と同じように愛されていない人と友達になってしまいました。

部活が一緒だったのですが、3人の中で仲間はずれにされたり、感情のはけ口にされたりしました。

小学校の時に私が他の人にしてしまったことを逆の立場に立って体験することになりました。

ストレスで体調が悪くなり、視力低下し始めたり、顎関節症にもなり苦しい苦しい日々でした。

ある程度苦しむと他のクラスの友人が友人を紹介してくれて苦しみは終わりました。

自分が仲間はずれにされて初めて、過去に自分が傷つけた人の苦しみがわかり、二度と他の人に意地悪なことをしない人間になろうと思えるようになりました。

自分が蒔いた種を6年後に刈り取ることになったのです。

苦しみを体験することで、他の人の苦しみにまで思いがいくようになり、闘病中の同級生や孤独な留学生に温かい眼差しを注げるようになりました。

 

 ジェラルディ-ン・カミンズ著 不滅への道 P54

 

私はただ、彼の魂と心は、その犠牲者たちの苦悩との一体化を通して浄められていくものであると付け加えうるのみである。

 

私たちの魂は、過去に自分が犯した罪を自分が同じ体験をすることで、浄められ、愛において成長していくのだと思います。

飢えた体験をしなければ、飢えの苦しさをしることはないだろうし、自分が与えた苦しみを体験してみなければ、相手の苦しみを本当の意味で理解することはできないのだろうと思います。

 

それでも、こういう人もいるでしょう。

何の罪を犯してもいない子供やいい人がなぜ苦しむのかと…。

以下の文章が正しいのではないかと私は感じます。

 

ヴィンセント・ギュリム著 魂の法則 P158

 

多くの人は、何もしていない善人が、運命のいたずらのように、悲惨で不幸な数々に見舞われなければならないことが理解できない。

そして、善人がこれほどひどく苦しまねばならないのだから真の裁きが存在する訳がない、と結論づける。

しかし、その魂は、「魂の法則」と馴染む前に、犯した罪の埋め合わせをしているということなのだ。

 

したがって、困難に立ち向かう人達がいることを喜びなさい。

第一にその人たちは、更生しようと深く肯定的に改心した魂であり、第二にそれほどの試練に直面すること自体がかなり進んだレベルに達したということで、負債を集中的に清算することにも成功する可能性があるからだ。

 

大きな困難がやってきた人というのは、困難から学び成長しようという意志を持った魂であり、かなり進んだレベルに達している。

こう聞くと励まされます。

 

蒔いた種を刈り取る。

苦しみは学びのためにやってくる。

罰したり、懲らしめたりするために苦しみがやってくるのではなく、自分がやられて嫌なことは他者にしないようにしようにするため、大切なことを思い出し優しくなっていいくためにやってくるのでしょう。

そう考えるのが正しいのだろうと思います。

 

この話をすると母は必ず反発するんですけどね…。

私はやっぱりこの世界は完全に平等で完璧な世界であって欲しいし、そうあるべきだと考えてしまうんです。

神様がいるならば、完全に平等であって欲しいし、すべての人が完璧に愛されていて欲しいと。

原因と結果の法則がこの宇宙にあるのだと考えたなら、この世界は完全に平等で完璧だと考えられます。

私の心、良心がこれが正しいと教えてくれていると感じています。

皆さんはどう感じるでしょうか…。

 

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蒔いた種を刈り取ることになった私の体験~亡くなった同級生からもらった微笑み~

蒔いた種を刈り取ることができたと感じた私の体験について今日は書こうと思います。

私は中高一貫校の学校に通っていました。

当時の私はありのままの自分は人に好かれないと感じてたのでいつも自分を押し殺して、相手に合わせてなんとかやり過ごしているというような日々でした。

中学三年生の時に、クラスに白血病で闘病していた同級生がいました。

彼女は一年間、一度も学校に登校してくることはなかったのですが、日直の当番になった人が彼女にハガキを書いて送ることになっていました。

 

一度も学校に来ていない子だったので、彼女に好かれようとか嫌われないようにしないとか考えることなく自然体の自分でハガキを書いていました。

いつしか、彼女に手紙を書くことが楽しくなっていきました。

中学三年の初めに仲間外れにされた時期があって、仲間はずれにした意地悪な子がその闘病している同級生と友達だったというのも知っていて、彼女も私と同じように苦しかったのではと同情する気持ちもありました。

 

友達が日直になったときはハガキのスペースの半分をもらって書いていましたし、自分の日直の時は表裏びっしり書いて送っていました。

 

しかし、彼女は学校に一度も来ることはなく、クラスも変わってしまったのでハガキを書いていたこともすっかり忘れてしまいました。

 

1年後くらいだったか、彼女の白血病寛解して学校に登校してくるようになりました。

おとなしいタイプの女の子だったのですが、体育の授業を見学するときなど時々近寄ってきてくれて話しかけてくれたりしていました。

でも、病気の人だと気を使い過ぎてしまったり、緊張してしまって上手に話せませんでした。

 

高校の卒業式の日に、廊下でいたら彼女が温かい眼差しを向けてくれて近寄ってきてくれました。

大人しい感じの彼女が自分から近寄ってきてくれたことに少し驚いたのを覚えています。

 

彼女は大検をとったことを話してくれて、私は下宿することを話したりしました。

お互いに卒業してから頑張ろうねと言い合ってお別れしました。

私は、その時が彼女と話ができる最後になるとは夢にも思わず、彼女は優秀でいいな、私はあまりいい大学に入れなかった…かっこ悪いなと自分のことに囚われていました。

最後までハガキを書くことを楽しみにしていたことも思い出せずにお別れしてしまいました。

 

20歳の時に、下宿先に母から電話がかかってきて、彼女が亡くなったことを知りました。

彼女を失って初めて彼女との思い出が走馬灯のように思い出されてきて涙が止まらなくなりました。

私は彼女にハガキを書くのを楽しみにしていた…もしかしたら彼女も闘病中に私のハガキを楽しみにしていてくれたのかもしれない。

だから体育の授業の時に近寄ってきてくれたり、話しかけてくれていたんだ。

卒業式の時の温かい眼差しの意味がやっとわかりました。

彼女を失ったときに初めて、彼女が自分にとってどれだけ大事な存在であったかを思い出すことができました。

 

緊張して上手に話せなかったり、自分のことに囚われてしまって相手の気持ちまで思いがいかない欠点もあるけど、それをわかった上で、でもあなたにはいい所があるのを知っているよと言ってくれたような笑顔でした。

 

自分は自然体では好かれない人間だと思い自信がなく、暗闇の中にいたのですが、彼女の眼差しが私の姿を照らしてくれたお陰で初めて自分の姿が見えました。

暗闇の中にいた私に一筋の光が見えて、抜け出していくことができた瞬間です。

彼女は亡くなっていくときに最後に私に贈り物を届けてくれました。

 

その後、本との出会いもあり、なぜ自分は冷たい人に近寄って行ってしまうのかとか、温かい人を無意識で避けてしまうのかとか学んでいき、生きるのが楽になっていきました。

 

彼女との出会いと別れから本当にたくさんのことを教えてもらいました。

見返りを求めずに相手に温かい気持ちを届けたら、いつかそれが自分に返ってきて自分を助けてくれる。

自分の中にあるものを外側に届ける大切さが本当の意味で理解できました。

 

私たちは蒔いた種を刈り取ることができます。

愛を得たいのであれば、愛をくれる人はどこにいるのだと探し続けるのではなく、自分の中にある愛や優しさを外に向けて届けていくことが大切です。

時間はかかっても必ず、自分が届けたものが自分に届けられます。

与えたものが与えられます。

これが本当に重要な宇宙の法則です。

ただ、忘れてはいけないのは、自分を犠牲にしてまで届けようとはしないでください。

見返りを求めない範囲で届けることが大切です。

 

この蒔いた種を刈り取る。

この宇宙の法則が世界中の人たちに理解されて受け入れられたとき、愛ある世界を呼び出せるのだろうと思います。

そのためにブログを書いていますし、書き続けていこうと思っています。

 

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